久しぶりに適当に覚えた雑学を。
表題のセリフ、有名ですね。
「パンがなければケーキを食べればいいじゃなーい。」
と、金持ち気分を押し出した名言中の名言。これが引き金でフランス革命が起きた、と言うくらいの言い方をされる人もいるほどインパクトのあるお言葉です。
さて、フランス革命の動機には大きく分けて2つの原因があると言われています。
まず、1つ目が周辺諸国の近代化です。
アメリカ等が自由を押し出した民主主義を立てたり、ヨーロッパに民主主義の前進のような思想が広がっていました。
その中でも、フランスは特に強い王政を強硬していたのです。
実際、これはこのフランス革命の先導者になっている人物達の大きな動機です。
そして、2つ目が財政赤字です。これはフランスでは対外戦争が続いており、それらの赤字の積み重ねと、貴族等の浪費も膨らんだ結果といえます。
基本的に、財政が赤字になれば税金を増やし、財政を立て直す方向になっているわけです。
実際の経済はそう簡単ではありませんが、中世代では一番妥当な方法だったでしょう。
そして、増税によって食料が買いにくくなったのです。
フランスではパンが基本的な主食になります。
このパンですが、実は「基本非課税」だったのです。
そして、怖いのがここからです。
消費税はありとしても、一定の通路を通ると、所持品に税金がかかるのです。
国内関税とでも言えばいいのでしょうか、名称までは詳しくありませんが。
食料に多量の税金が取られれば民衆も怒ります。
これがフランス革命の大多数の一般市民の動機になります。
さて、話は戻って「パンがなければケーキを食べればいい」という意味について考えます。
一般的に、世間の金銭感覚や一般常識を知らない貴族が代替品なんていくらでもあるでしょう、的な意味で放った言葉とされています。
そして、言ったのはマリー・アントワネット。
先に言いますが、このセリフは
捏造です。
なので、マリー・アントワネットはそんな事は言いませんでした・・、とは締めません。
実際には、誰かは不明ですが本当にこのセリフは言われています。
Qu'ils mangent de la briocheこれが問題の「パンがなければ」の原文です。
まず、このフランス語を正しく日本語訳してみましょう。
「皆はブリオッシュを食べること」ケーキではありません、ブリオッシュです。
時たまパン屋さんで見かけますね、ブリオッシュ。
基本は乳製品をふんだんに使った、若干甘いパンです。
他にもクロワッサン的なものも指したりするようです。
このブリオッシュは、どちらかと言うと菓子パンです。
現在の自分達に当てはめれば、アンパンです。
おやつにしてもいいし、場合によっては食事にもできる。
でも、食パンよりは高いね。
お米でいい直せば、お餅といった具合でしょうか?
という具合の製品です。
当時のパンは水と食塩、小麦粉を練り合わせて作るのが一般的なパンでした。
卵や牛乳、バターをふんだんに使うブリオッシュは若干高いものでした。
しかし、生クリームふんだんのスポンジケーキに比べたら敷居が下がりましたよね?
現在風に直せば「食パンがないならアンパンを食べればいい」「お米がないのならお餅を食べればいい」になります。
なんとなく、うん・・まぁ・・となりますね。
しかし、それでも、国民がお金がなく飢えているときに、高いものを買え、は怒られるでしょう。
しかししかし、このブリオッシュ、現在と昔では形態が違うのです。
どちらかと言うと、乾パンに近い保存用のパンだったそうです。
それでも、普通のパンに比べると金額はまだ若干高いのです。
それではまだまだ国民はお怒りです。
やはり、高圧的に、「お米がないなら餅でも食べなさい」になりますね。
ここで当時のフランスの法律を見てみましょう。
「
パンが供給不足になった際、ブリオッシュをパンと同額で販売すること」
という法律がありました。
さて、物が高騰する原因というのは、「供給に比べて需要が過大にある」事です。
つまり、同額の品で、用途が同じ(食事として食べる)物があれば、総合的に見れば供給量が増えます。
上手く言えば、バランスが取れ、金額が落ち着く事もありえます。
そして、本来の物の供給量が回復、または増えればいいわけです。
但し、パン屋さんは損なのでしょうけども。
なんとなくわかったでしょうか?
このパンがなければケーキを食べなさい、に引用される文章は、「
パンが不足しているから、ブリオッシュをパンと同額にするように」という指示を出していた一文ともされているのです。
お米とお餅で言えば、「お米が不足したから、餅を同額で売る政策を実施します」となるところでしょうか。
こうして、この意味を無理やり変えてきた民主主義の旗を振りかざした過激派によってマリー・アントワネットは謂れ無き汚名言を着せられ処刑されました。
しかし、浪費やら財政赤字の一旦になったのは間違いありません。
ただ、何千人いる貴族の一人なので、大した事ないんですけどね。
貴族の浪費金額は、戦争費用と比べても何万分の一くらいだったのでは、という試算もあるようです。
ここは聞いただけなので確定しませんが。
一般庶民からしたら、それでも怒りますよね。片やパンを買うのに難儀しているわけですからね。
なんにせよ、歴史も含め、こういう改ざんは多々あります。
それでも、この改ざんされた言葉から学ぶ事もあれば、覚えやすさもあります。
本当の歴史を知りつつ、こういう事もあるのだ、と表裏を知った上で楽しめるといいですね。
しかし、フランス革命で許せないのがアントワーヌ・ラヴォラジエの処刑です。
アントワーヌ・ラヴォラジエは徴税人でした。
先程の、通行する際に税金を取り上げる担当の貴族です。徴税人は貴族の仕事ではありませんが、彼は進んでやりました。
それは、大好きな科学の為に実験費用が欲しかったからです。
彼が発見した事は大きかったと言えるでしょう。誰もが知っているものを見つけました。
元素というものを定義し、酸素や水素と質量保存の法則を発見したのです。
そして、かなり高精度な定量測定の方法を自力で編み出したのも大きい事でしょう。
それい外にも、メートル法を定義した一人でもあります。1kgの重さや体積の定義したのと同意ですが、実際には死後の仲間の功績が大きいのですが。
そして、彼は税金に関しても、手数料を取ったものの、減税にも注力をしており、実質的にはトントン以下にする工夫をしていたそうです。
今で言う、税理士的な事をしているのです。
(税理士さんは減税、免税を可能な限りで合法に行なってくれるお仕事ともいえます。)
最後はその人気から国家財政委員にまで上り詰め、減税等を含めた財務改革を担当するまでになります。
そんな彼は、フランス革命の際にギロチンにかけられます。
フランスには徴税人も科学者もいらないためだそうです(当時科学者は特別な身分扱いだったのです)。
その処刑を決めたのは、フランス革命の指導者の一人ジャン=ポール・マラーと言われています。
彼もまた、科学者だったのです。
マラーが学会に提出した論文の審査が回ってきたのがラヴォラジエその人でした。
内容はひどいもので、憶測で実験も行なっていない事から、却下したのです。
それを逆恨みし、嘘の罪状でギロチンにかけられました。
罪状は「水と有害物質をタバコに混入した」ことだそうです。
(ラヴォラジエは農夫の為に農薬の開発等も行なっていたのです)
まだ、徴税人としてギロチンにかけられるならまだしも、逆恨みであり、嘘の罪状による処刑でした。
そして、このマラーは革命成功後、指導者の一人として君臨し、
恐怖政治を敷きます。
最後は暗殺されますが。
このように、民主主義の初期は混迷を極め、今でもフランス革命の主題である自由、平等、友愛を基礎に日本も含め、民主主義国家の基礎テーマになっています。
注意して欲しいのが、このテーマには「理性」というのもが求められており、理性があるのであれば、暴力だろうが社会制度が息苦しくなろうが構わないという考え方があるのです。
自由、平等、友愛に理性と責任を加えたのが民主主義になり、そのまま理性を強化していったのが社会主義や共産主義になったとも言われています。
現在、日本は若干、責任という言葉が欠如しはじめているような気がしています。
ニュースを素人目で見てそう思っているだけなので、どうかとは思いますが。
さて、このラヴォラジエが科学者として成功を収めたのにはもうひとつ、理由があります。
彼の妻が大きく影響しているのです。
妻はマリー・アンヌ・ペレット・ボールズ=ラヴォラジエといい、もともとのラヴォラジエの徴税人の上司にあたる人の娘です。マリー・アントワネットではありません。
普通、貴族やその階級の女性は科学の知識を得る機会はありませんし、興味はそこまでなかった場合がほとんどです。逆に言うと、学者というのは男の仕事でした。
その中で、マリー・アンヌは夫がしている仕事を徹夜であれば一緒に徹夜をし、実験の手順や内容すべてを精細なスケッチで残し、英語、ラテン語、イタリア語を学び、最新の論文を訳し、また、夫の論文を訳したそうです。
各国語も、スケッチも、科学の知識ですら、結婚後、夫の役に立つために新たに学んだそうです。
他にも社交術も長けていたパリの美人リストにも載っていた美女だったとかなんとか。
これで成功しなければ男として死んだも同然ですね。
自分たちが吸うこの酸素が見つけられるまでには、最高の女性による助力があった事を忘れてはなりませんね。
ただ、現代のように男女で自由に行動を選べるのだったら、ラヴォラジエ婦人に、あなたほどの才能があるのであれば何をしたいのか、と尋ねてみたいところです。
ソフィ・ジェルマンのように自ら好んで学問に見を投じた訳ではありませんからね。
でも、ロマンティストな自分は、是非、夫の仕事を一緒にしたい、と言って欲しいものです。
余談の方が長くなりましたね。長文ですいませんでした。
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