2012年10月09日

春夏冬2升5合とってもよろしいことでございます。

タイトルの「春夏冬2升5合」、これを読める人はいるでしょうか?

これは日本の古典的な看板文句です。


今ではみかけませんが、平安の頃から江戸時代等には独特の看板文化がありました。

その中の一つがこの「春夏冬2升5合」です。


読み方をさっと言ってしまうと

「春夏冬」で秋がない→商い

2升の升は「マス」とも読めます→マスマス

単位の「合」は10合で1升です。
5合では1升の半分→半升→はんじょう→繁盛


合わせると、「商いますます繁盛」となります。

こういう遊びごろこをやなぞかけをする看板は江戸時代にあふれていたそうです。

「弓」と「矢」がつがえてあれば「弓を射る」→「ゆにいる」→「湯に入る」→「お風呂屋」だったりします。
弓矢から直接湯屋にかかるという説もあるようですが。

他にも、「歩」と書いてあれば「質屋」です。

「歩」は将棋では「金」になる→「金になる」という言葉遊びのようです。

他にも絵馬のような造形の多彩な看板が多く存在していたようで、当時の街並みはきっと現代人が行ったら謎ばかりなのでしょう。

こういう遊び心こそが一つの日本の文化じゃないかと思っています。


そういえば、時代劇の商人と言えば「越後屋」な気がしている人も多いとは思います。

これは間違いで、時代劇では「大黒屋」の方が多く使われているようです。

どちらかと言うと越後屋は、バラエティーやお笑いのコント等に使われる機会が多く、イメージとして定着したようです。
多分、語呂的な問題なのでしょう。

ついでに言うと、「越後屋」と言う商人のモデルはちゃんと存在しており、現在でも商売をしています。

そのお店は、東京にドンを店を構える所謂「銀座三越」そのお店です。
以前は越後屋だったのです。
明治時代に現在の三越に改名しています。

元々は呉服屋だったのですが、その画期的な商法から民衆の支持を得て大財閥への礎を築いたと言われています。

それが、 「店前現銀売り」や「現銀掛値無し」、「小裂何程にても売ります」という商法でした。

現代人には全くわからない話になってしまうので、解説します。


「店前現銀売り」というのは、呉服屋等の仕立てモノなどは「客の邸宅に行き、注文を伺って要望を受けて商品を作る、又は商品を持込み販売する」という方法が普通でした。
そして、お金は盆と正月に受け取るツケ払い、節季払いでした。
それを店先で現金販売するという方法を取りました。
これによって経費も抑えられ、尚且つ、営業に回れない一般庶民も店に見に来る事ができました。



「現銀掛け値無し」というのはもっと驚く内容です。
値札をつけたのです。

はぁ?何言ってるの、とおっしゃる方もいるかもしれません。
しかし、これは普通です。
客を見て金額を上下させるのは中世どの国でも当たり前であり、更に言うとこの越後屋が世界初と言われています。
今でも、海外旅行等行くと、日本人はボッタクられる等と言われますが、文明力が一定以上ないと値札をつける正札販売という文化が生まれないのです。
ある意味、お金持ちにはそれ相応の庶民に対する責任がある、というノブレス・オブリージュ的な考え方とでも言えばいいでしょうか。

それを廃して誰でも同じ値段で売る、というのは画期的だったのです。
騙される事もないので、客の食いつきは本当に良かったそうです。



そして最後は「小裂何程にても売ります」という売り文句です。

これは、例えば喫茶店でコーヒーを頼んだらコーヒーが一杯でてくると思います。
コーヒーは一杯という単位が当たり前ですよね。
それを更にうちは細かく売りますよ!という内容です。
コーヒーに例えたら、コーヒーをスプーン一杯分買う事ができる、とでも言えばいいでしょうか。

呉服屋の布は「1反」という単位で売ります。それは基本的に崩す事もなく、1反単位でしか売りません。
そうでもしないと、1巻売り切る事には端数が出てしまうからです。

ついでに言えば、1反は素材や規格によってサイズはまちまちですが、30cm ✕ 900cmほどの巨大な布になります。

毎回、こんな巨大な布を買うしかなければ庶民の財布は火の車です。

それを、例え3cm四方であっても販売したのです。

そういう細かい商売までも大事にし、それが買い手にウケたのでしょう。

そうやって成り上がって行ったのが「越後屋」であり、「三越」という事になります。



越後屋、お主も悪よのう。


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2012年09月20日

助けて土左衛門

※今回のお話には過激な内容が含まれていると思われます。「自殺」「死体」等のキーワードに弱い方等は閲覧なさらぬようご注意ください。




溺死体の事を土左衛門と言いますね。


水の中で亡くなったのにも関わらずなぜ「土」左衛門なのでしょうか?



この土左衛門という俗称は江戸時代発祥の言葉です。


あくる日、川で溺死体が揚がり、多数の見物人がでました。


お気の毒と合掌する人もいたことでしょう。

しかし、中には空気の読めない方がいるわけです。


見物人の一人が悪ふざけで「仏さん、土左衛門そっくりだぜぇ!wwwwww」

と、草を生やした事でしょう。



そう、実は水死体が「土左衛門」という人物に似ていたのです。

当時、大相撲はやはり、大きなスポーツとして人気のある競技でした。

もちろん、力士は今も昔も顔を覚えておいている人も多い訳ですが、けして、その水死体の顔が似ていた訳ではありません。

似ていたのはその「体質」です。


あえて言い直しますが、「体型」ではなく、「体質」だったようです。



そっくりと言われた土左衛門、四股名は「成瀬川土左衛門」という相撲取でした。

幕内力士であり、幕内とは現在で言えば、大相撲リーグ42強にノミネート、当時のルールはわかりませんが、大きく差はないと思います。

けして、笑われるような強さの力士ではありませんでしたが、他の力士とまた違った体質を持っていたのです。


それが「ブヨブヨの体型」です。

力士が太っていても筋肉質で、ぴっちりとした体質に見えるのに対して、成瀬川土左衛門は、ババロアのような、水餅のような、たれぱんだだったのです。


さて、その溺死体は土左衛門とそっくりのブヨブヨタレタレの太った人だったのでしょうか?



違います。


溺死体は浸透圧等の関係で体がふやけます。

ダレダレになったゴムのような体になってしまうのです。


その状態で、1日以上経てば腐敗ガスが発生しはじめます。

当然、人間の体は水分が多いですし、皮膚もあって、気密性がある程度あります。

つまり、体が膨らむのです。


膨らんで太ったようになって、その上、皮膚はでろでろのババロア。

その姿がまるで成瀬川土左衛門のように見えたのでしょう。


本当に似ていたのでしょう、現代にまで土左衛門の呼び名が残っているということは、余程話題になったのでしょう。


さて、その成瀬川土左衛門。

通常、四股名は引き継がれて行くものですが、ここまで流行ってしまった為、演技が悪かったのか、現在では使っている力士はいません。


もし、復活するようであれば、300年続く名前を残す力士になるかもしれませんね。





さて、当然なのですが、溺死は事故死も多いですが、自殺の方法としてもポピュラーな手法と思われています。

まず、自分の命を投げ出す行為そのものは許せるものではありません。

いかなる理由があっても是非とももがいて生きてもらいたいものです。


が、脅しとして入水自殺をした場合のお話をします。

そして、ツッコミが怖いので、「入水」という単語には、「水に入って自殺をする」という意味があるので、「入水自殺」と言ってしまうと、「頭痛が痛い」と似た意味になってしまいますのでご注意ください。



まず、溺死時は苦しいです。

意識が失われるまで、1分〜5分くらいあり、首吊りに比べて即死性が弱いです。

そして、上手く自殺できたとしても、土左衛門のように水ぶくれてブヨブヨで、尚且つ、水死体は人目につきやすく、晒し者になります。

ブヨブヨになったあなたが人の前に晒されてしまうのです。


もし、晒されないようにしたいのであれば、20kg以上、できれば50kg以上のオモリを仕込んで水に入ってみましょう。

20kg程度では溜まったガスの浮力で浮いてきます。


もちろん、50kを持って入水しようとするのも一苦労です。括りつける場所も重要です。

手足程度では腐食した部分が千切れ落ちて浮いてくるでしょう。


結構な確率で自力で入水を図れば、醜く変わり果てたあなたが人目につきます。


変わり果てた姿、とは言いますが、入水は家族すら見分けがつかないほど変わり果てます。

その姿は巨人のようだ、とも言われています。


警察の手間も大変です。

所有物等を調べて身元の確認も水中という環境から大事になります。

大迷惑ですね。

入水後、水中でついた傷は水によって膨張し、腐乱やバクテリア、魚類に侵食され、死亡原因の判明が困難になります。

判断するのも大変ですし、下手をすればあらぬ疑いがあなたの大事な人達にかかる場合もありえます。



脅し文句はいくらでもありますが、何より、命を大切にしてそういう考えに至らないように、至ってしまった場合、思いとどまれるようにし、できればそういう人を思いとどまらせてあげられればと思います。


んー、ちょっと怖い話になってしまいました。

気分を害した方もいらっしゃるかもしれません、どうぞご容赦ください。


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2012年09月16日

コンダラー

重いコンダラー試練の道を〜♪

有名な話ですよね。

コンダラー


コンダラーと言えば、テニスコート等で使う整地用の引いて使う大きなローラーの事。


しかし、この世にコンダラーという名前のものはありません。

矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、あの巨大ローラーは手動式整地用圧延機またはグラウンドローラーと言います。

冒頭で歌った(?)巨人の星の替え歌ですが、一部では本当にこの歌詞だと思われていたようで、本来は「思い込んだら試練の道を」ですが、一聴すれば「重いコンダラー」と聞こえてしまっても不思議はありません。


ドラゴンボールZのOPにある「恐竜がいたら タマノリシコ見たいね!」と一緒です。

子供が一発で玉乗り仕込みたいと聞き分けられる訳ありません。

歌詞の前後で見ても、玉乗りという単語がでてこないので、ギナタになりやすい歌だと思います。


割りと人間は前後の文章から言葉を推察して補完しつつ、言語を認識している節があります。

そうなると、歌はそもそも誤解されやすく、巨人の星の重いコンダラーに至っては、歌い出しの為、全文はなく、後の文章からも大幅な違和感を感じにくくなっている為、勘違いされても仕方ないのかもしれません。


そうなると、コンダラーってなんだ?という至極当然と疑問になります

そして、なぜか巨人の星のEDで引っ張っていた手動式整地用圧延機をコンダラーという名前だろうと言う勘違いがなされたようです。

確かに、EDでは手動式整地用圧延機を引っ張っている描写がある模様。

多分、そこから推察するに、巨人の星放送終了後に記憶がごっちゃになった結果、そういう結論に至ったのではないでしょうか?


A:おーもーいーこんだ〜ら〜♪

B:あれ、コンダラーってなんだっけ?

A:え・・・あ・・あれだよ、飛雄馬引っ張ってたじゃん、アレじゃない?

B:あー、あのグランドならす奴ねー!


という会話があったのではないかと思います。


つまり、コンダラーは一部の人の勘違いによって生まれた造語であって、正式名称でもなく、ただの俗名だと言う事です。

実際に、大手の辞書等では正式な用語ではないので載っていない事がほとんどのはずです。


きっとこうやって生まれた単語も多々あるのでしょうね。


帝王切開とかも誤訳による勘違いですよね。



日本の言葉の発展に勘違いは欠かせないんでしょうね。


勘違いバンザイ。


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2012年07月26日

英語の授業でsixに落書きをした中学生は正しい

学生時代に「six」の「i」に加筆して「sex」にした恥ずかしい記憶を持っているマセた少年時代をおくった人も多いのではないでしょうか?

自分もやったことがあるので、あまり言及はしませんが。

さて、皆さんはこの二つの単語、似すぎているとは思いませんか?

もちろん、アルファベットは文字数も少なく、似通った単語も多いわけですが、気になった方もいるかもしれません。

今日はこのsixとsexのお話。




まず、先にですが、6のことをラテン語では「sex」といいます。


なので、この段階でつながりあったね、で終わらせてもいいのですが、それではダメなので検証してみましょう。




では、まず、sexという単語ですが、性差、性別的な単語であるわけですが、単語の成り立ちに実は聖書が影響していると言われています。

実際に言えば、聖書ではなく人類初といわれているシュメール文明の寓話という話ですが。

聖書では、神は最初に土から男を作ったとされます。

アダムです。

イヴはまだ出てきません。


しかし、人間は一人でいるのは良くないと助け手としてイヴを作ることを神は考えます。

そして、神は再び土から・・・ではなく、アダムの肋骨を引っこ抜いてそれからイヴを作るのです。

こうして、男女という性が生まれたわけです。


アダムが二つに分かれることで性が生まれた、とすると、「2」と「性」につながりがある気がしないでもありません。


しかし、「six」と「sex」のつながりは見えてきません。


ここで、中世以前の数学には重要な数字がありました。

完全な数字のひとつとされていたのが「12」です。



太陰暦から派生した12進法は、現在では日時などにしか使われない場合がほとんどですが、もっと昔であれば、用途は多岐に渡り、一部の国々では、私たちが10進法を使うのとまったく同じ感覚で12進法で計算をしたり、生活に利用していたとされています。


12という数字には、今でも様々に使われており、たとえば、日本では「十二分」、英語でも10より多く数える場合には、12まで数えたり、陪審員の数が12人であったりボクシングの王座戦は12ラウンド、聖書では12使徒、ギリシャ神話のオリンピア12神。

と、枚挙したらキリがありません。


12というのは、ひとつの完全な数字であり、ひとつのキリのいい数字であったというのがわかるでしょう。

つまり、完全な存在である神が自分に似せて作った人間(アダム)を分割してイヴを作ったわけですから・・・。

完全な数字である12÷2=6 ラテン語では「sex」となるわけです。


ラテン語のsex = 英語のsix。

つながりました!

6という数字と性差がここでつながりました。

言い直せば、「six」と「sex」がつながりました。



無理やりだろうと思われる方もいるかもしれませんが、実際に、当時太陰暦であれば、12ヶ月という思想もありましたし、半分にすれば6であり、半期というわかりやすい区切りであり、これもちょうどいい数字という風に認識されていました。

もっと極端に言えば、季節が2個しかなく、半期の6ヶ月というのが重要な区切りである国も多々あります。


そういう訳で、6が持つ「12の半分」という意味はとても強いのです。

それの証拠として、6であるsexから派生した接頭語として、semi〜という単語があります。


セミオートは、半自動で、半分という意味があります。

semiskilledで半人前なんていうのもあります。


sex = 半分にわけるという意味が今も残っていることになります。


つまり、両者はまったく同じ言葉なのです。

余談ですが、semiで辞書を調べていくと、途中から男性の体液に関する単語ばっかりになります。


ついでにですが、セミダブルベッドなんてありません。和製英語です。

セミダブルは、英語だとバラのような雄しべが花びらになっている形状を言います。

ダブルには雄しべと雌しべが重なり合う状態をあらわす意味もあるようです。

ダブルベッド・・そういう意味じゃないです、こちらは2倍サイズのベッドです。


実際に、sextetといえば6重奏のことですし、sexangleといえば六角形ですし、語源が一緒だろうというのは気づいていた方も多いとは思いますが、何がどうつながっているとはわからないものです。




まとめ

完全な数字12

完全な存在である神が自分に似せてアダム創った

アダムを分割してイヴ作った

性別できた

完全な数字12を割ったら6

英語の元になった一つのラテン語では6のことをsex

英語では6をsix

sexとsix似てるねー

語源一緒



実際には、一つの説なのですが、割と合っている気がしないでもないです。

多分ですが、隠語だったんじゃないか、と思うんですけどね。


ということで、中学生が気にしているだろうモヤモヤを解消してみました。


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2012年07月14日

平賀源内に踊らされる

※本記事は一部に全年齢的に良くない表現が含まれています※


2012年の土用の丑の日は7月27日です。

今年は鰻が高騰しているとかなんとか。

秋刀魚も高値で、大豆もなんとやら。


鰻も秋刀魚も豆腐も好きな自分には厳しい時代です。



さて、この土用の丑の日、皆さんもおいしく鰻を食べたくなるでしょう、

一体、この文化はいつから始まったのでしょうか?

ご存知の方も多いとは思いますが、始めたのは日本が誇る発明家、平賀源内氏。


彼が売上不振のうなぎ屋の為に考えた「本日土用丑の日」というキャッチコピーが始まりだとか。


実際、平賀源内と言えばエレキテル、と言うくらいですが、エレキテルは壊れたエレキテルをとりあえず直してみただけ、というのが本当のところです。

彼は鉱山を掘り当て、成金になり、そこから日本の物産展の走りとも言われる物産博覧会を開催していたのです。
簡単に言えば、ブローカーで、その手腕は幕府でも一目置かれていました。

鉱山開発では、アスベストを日本で発見し、それから布を作った事でも知られて・・いませんね。

今でもこの鉱山は秩父にあり、秩父鉱山として稼働しています。


有り余る資金から、鎖国中であったにも関わらず、オランダの書物等を買いあさり、それを翻訳したり、それに書かれた技術を様々な人に教えていました。

日本の近代医療の先駆け、杉田玄白氏も恩恵に預かった人物ですね。



実際には、油絵等も日本に技法として持ち込んだのも平賀源内氏です。

油絵を教えた人物の名前は小田野直武。秋田蘭画という秋田派の開祖です。

平賀源内は、遠近法や陰影法等を小田野直武に教え、日本画にも取り入れられつつも発展を行います。


しかし、小田野直武の活躍はこれだけには留まりません。

日本画というのは、輪郭絵であり、強烈なデフォルメをかけた特殊な絵でした。

この時代、このデフォルメに困った人がでたのです。


前述した杉田玄白ら、解体新書の著者達です。

これには平賀源内も関わっていたとされています。

書籍の提供等でしょうが。


解体新書の素晴らしいところは、挿絵の豊富さです。

この挿絵を描いたのも小田野直武その人でした。


もうわかりますね、江戸で活動していた学者杉田玄白らと、他藩で絵を描くだけの小田野直武を結んだのも平賀源内とされています。


更に言えば、日本の銅板版画をした司馬江漢も平賀源内と繋がりがあり、小田野直武を紹介し、師事を受けたとされています。


絵画と医療だけでこの強大な功績。

産業的にもトンデモです。

なんとも恐ろしい平賀源内氏。


しかし、それだけではありません。


彼はまだまだ日本の文化に影響を与えています。


前述した、「土用の丑の日」であるキャッチコピーだけではなく、歯磨き粉の営業用の歌の作詞作曲というのも行ったようです。

ある意味、CMソングですよね。

万能すぎるでしょう・・。



浄瑠璃の脚本を作ったりもしました。


浮世絵の展覧会も行い、前代未聞の浮世絵ブームを作った人物でもあります。


他にも、歌舞伎に大投資を行い、江戸三座の窮地を先延ばしできたとする話もあります。
(江戸三座→江戸で歌舞伎をやるには幕府の許可が必要で、3つの座でしか認可が取れなかった)



そして、ある意味当時の一般人からしたら、一番有名だったのはこれ。


エロ本作家。

実際は、思想的な本なのですが、内容がぶっ飛び過ぎてエロ本認定です。

逆に言えば、エロ本と思って買う人に思想を植え付けられるという画期的?アイディアでもあると言えます。

長枕褥合戦はかなり有名な部類ではないでしょうか。


頼朝の死後、北条政子の再婚相手を探すお話です。

内容を簡単に言えば、男性の背比べ。

一番大きければ天下が取れる状態という内容です。


馬鹿馬鹿しい内容ではありますが、政治の面の揶揄であったり、その展開の良い文章には目を見張るものがあります。



他にも、彼自身は公言するほどのホモセクシャルで、そういうサービスをする店に行っては、その感想を書き、まとめたものを発売していました。

ある意味「食べログ」。



ちょっとそれてしまいますが、中世日本ではホモセクシャルは良くない、という概念が弱い国でした。

というのも、幼年期であれば、女性とも男性ともつかないという事で、男色が当たり前であり、避妊する方法が少ない中性時代では悪い言い方で、普通に行われていました。

忠臣蔵と並ぶ有名な日本三大仇討ちの一つ、鍵屋の辻の決闘も寵愛を受けた未成年男子の取り合いから発展した仇討ちで、現代ではあまり上演されるような演目ではありませんが、江戸時代等ではかなり人気の演目だったようです。

そして、歌舞伎の女型は修行上、男性と関係を持たなければ行けなかった風習があったようです。


平賀源内は、有名女形にぞっこんだったそうです。

投資をしたというのも、この事実が多大に影響しているのかもれません。

歌舞伎の台本を書いていたりもしたので、本当の狙いがどこなのかはわかりませんが。



平賀源内版食べログは当時でも人気であり、今でも、当時の風習文化を伝える重要な資料となっています。



学問に秀で、経営にも長け、芸術を愛し、人に教える事にも抵抗なく、投資にも積極的な平賀源内氏を日本屈指の天才の一人だと推す人もいます。


我々が良く知る鰻も平賀源内氏によって生まれ、様々な文化・技術を生み出した平賀源内氏。


200年以上経っても言われ続ける商業用キャッチコピー。

糸井重里さんもビックリのコピーライター能力です。


そんな源内さん。

建築も行なっていました。

前述の秩父には平賀源内設計の自分用の住居が残っていたりします。

秩父に行く際には立ち寄ってみてもいいかもしれません。



さて、そんな平賀源内さんは、最後は酔っ払って人を殺傷してしまいます。

最後に行なっていたのは、大名屋敷の修繕でした。

そこで、酔っぱらい、口論の末、大工を殺傷し、投獄され、獄中死となります。


罪人は基本的に、遺体の引渡しはされません。

葬儀は杉田玄白ら、各界の著名人が集まり執り行われたとも。

最後に杉田玄白は墓碑にこう記しています。


嗟非常人 好非常事 行是非常 何死非常

ああ、非常の人よ 非常なことを好み 非常なことばかり。何故死ぬときまで非常な死を迎えるのか。



この日本の夏に鰻を食べる風習が残り続ける限り、我々は大天才平賀源内氏の手のひらで踊っているのかもしれませんね。

という事で、夕食は鰻というお話でした。


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2012年07月07日

七夕は非リア充の日

今日は七夕ですね、せっかくなので七夕についてお話したいと思います。


七夕は、彦星と織姫が結婚したら仕事をサボりまくるもので、天帝から引き離され、織姫があまりにも悲しむため、年に一度だけあわせてあげようという気遣いのイベントです。

リア充の人が、彼氏彼女になって勉強をおろそかにしたようなものですね。


さて、今日は物語の内容を語るつもりはありません。

七夕の醍醐味、そうです。二人を隔てている天の川についてです。

かと言って星の話をするわけでもありません。



前置きをすると、今日は七夕だけど曇っていて天の川は見れないだろう、ここ数年、曇りが多いよね、という話を聞かされました。



この話にうんうん、と頷く方も多いでしょうが、そもそも、天の川が見れた人はほとんどいないはずなのです。





まず、天候の問題です。


ここ近年、観測上で、関東では7月7日夜が晴れていたというのは、25%ほどしかありません。

天候的に雨が全国的に降りやすい時期なのです。



特に太平洋側は絶望的に降水確率が高いのです。



関東ベースで計算してしまいますが、25%でしか見れません。





もうひとつは月齢です。



月は毎日満ち欠けをしており、28日ほどで一周します。

1年間の365日でほぼ13周期する計算です。

計算を簡易にするため、1ヶ月を30日とします。

そうすると、1ヶ月では、実際の太陽暦の日付けと月の満ち欠けは2日ズレがあることになります。

1年が12ヶ月なので、24日のズレが生まれます。


もともと、昔は太陰暦だったため、月の状態でカレンダーが定まっていました。

その為、毎年決まって7月7日は、夕方に月が沈んでいました。



太陽暦になり、月の位置や形状は安定しなくなりました。

それが先ほどのズレです。

その結果、月が登り切っている7月7日が、生まれるようになりました。

月の光量は凄まじく、天の川の多くの星が見えなくなります。



ということで、月の出る時間と入る時間を、去年・今年、来年の3種類を調べてみました。




2111年7月7日

月の出 10:44
月南中 16:41
月の入 21:11


評価:21時以降に天の川の観測がしやすい。




2012年7月7日

月の出 19:00
月南中 2:18
月の入 8:05


評価:日の入り時間も考慮すると、見れない。



2013年7月7日

月の出 3:35
月南中 10:48
月の入 17:58


評価:問題なく観測可能。




月が出ている時間は14時間以上あり、天の川を見るのに邪魔になるのは、おおよそ8〜10時間くらいは邪魔になるかもしれません。

もちろん、新月であったり、極々細い三日月などであれば邪魔にならない可能性もあります。

それでも、28日中20日〜18日は天の川が見辛い月の大きさがあると考えてもいいかもしれません。


月の状態の半分は天の川を見づらくする状態になっている言えます。


キリよく半分として、天候とかけると、天の川が見れる空の状態になるのは12.5%となってしまいます。




どうでしょう。

天の川が自然に見れるのは10年に一度に近い割合なのです・・!




しかし、月の影響はたいしたことはないかもしれません。

それ以上に問題なのは、中規模の都市以上であれば、町の光による光害の方が影響が大きいでしょう。

規模にもよりますが、各県の第三、第四都市レベルでは、ほとんど見れなくなるでしょう。


そうなると、第三、第四都市以上となると、県の人口の1/3〜半分近くを占めている場合もありえます。


毎年、そもそも天の川を見れる環境にある人は半分程度しか全国にいないことになります・・・。



その半分の人も、天気や月齢の影響で見れなくなるため、日本で天の川が見れるのはほんの一握りの地域に限定されているのではないでしょうか。


実際に、日本は多湿地域で、星の見やすさは低い湿度のほうが有利で、且つ、空気中のチリなどのゴミの量も影響します。

山や高原の方が星がきれいに見える理由ですね。

逆に、冬場はある程度の町でも星がきれいに見えたりするのもこれが理由です。


実際、ある程度、空気が澄んでいて、弱い天の川の光が拡散されにくくければ、月がでていても見れる場合もあります。

やはり、天の川を見る確立をあげるなら、気圧が低く、湿度も低い、そして空気の澄んだ高原ですね。




ここまで確立が低いとなると、もう少し七夕を大事にしたほうがいいかもしれません。

下手をしたら、一生、7月7日に生で天の川の全景を見ることができない人がいる、という計算になってしまいますから。



今年は曇りの地域が多そうですが、皆様も見れるようでしたら、是非、ご覧になってください。




現代でこれだけの確立でしか晴れないとなると、天帝も予想外だったかもしれませんが、そもそも、月齢が安定している太陰暦で換算して、旧暦の七夕(現在の8月)は、それでも5割ほどしか晴れないんですよね・・・。

毎年といいつつ、実際は2年に一度です。
リア充爆ぜろ、天帝は非リア充の味方ですね。


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2012年07月02日

ハゲコンプレックスはワールドワイドなのか?

日本人はハゲに対して、過剰なコンプレックスを持っていると言われています。

現代の多くは、マッチポンプ的な部分も大きいですが、これは歴史的な背景も強いと思います。


古来より、日本では身分を、服装や携帯品、髪型で表しました。

特に、サムライの髷は有名ですね。

この髷、実は年をとる等して、ハゲてしまうと、ご奉公から引退することがほとんどだったようです。

どうしても、という人はカツラの使用をお上に申請する必要があったようです。


文明開化した後も、学童の模範として、男性であれば坊主、女性はおかっぱ、と決まっており、愛国心がある軍人も坊主でした。

衛生面での事も考えて坊主だった部分もあるようです。

もしかしたら、この学生時代の反発心もあり、髪型を気にする側面もあるかもしれませんが、我々にはサムライの髷に対する熱情があるのかもしれません。

毎日月代(さかやき=中世日本の頭頂部を剃り落とした状態のこと、時代劇で青くなっているあたり)を整え、町には、風呂屋と髷剃りが溢れかえり、そこが市民のコミニュケーションの場になっていました。

ここまで床屋が多い国も珍しいそうです。


そういう髪型にこだわる日本人の心を上手く持ち上げたこの育毛・増毛商法というのはすごい利益だそうです。

育毛・増毛を含むヘアケア業界は、4000億円超えの超巨大市場にもなっています。


さて、海外ではハゲに寛容だと聞いたことがある人も多いでしょう。

ハゲに色気がある、とか言う人もいらっしゃいます。


ここ近年は、実はこういうヘアケア市場も海外で伸びているそうです。

髪は伸びませんが。


そこを考えると、実際は、ハゲに対するコンプレックスや、他人からのそれ相応の蔑視的なものはあるのでしょう。

それでも、なぜ寛容と言われているかという疑問もあるかもしれません。


実は、これには世界最大宗教のキリスト教が関係しています。


キリスト教は新約聖書というのを使っています。

これは、旧約聖書が達成され、神と新しい約束を結ぶ、という内容です。

この新約聖書はキリスト教圏や、その周辺の生活の模範でもありました。


そして、旧約聖書というのも新約聖書とともに勉強します。

旧約聖書は新約聖書に比べ、物語性が高く、いくつか人気のある節があります。

旧約聖書も新約聖書も、いくつかの書物のまとまりのことを言いますが、今回、お話するのは列王記下という旧約聖書のお話。

このお話はとても海外では人気があり、かなりポピュラーな部類だそうです。

その節の主人公はエリシャといい、数々の奇跡を起こした預言者でした。

※予言者は神の言葉を聞ける、宗教上、特に地位が高く見られる人と思うといいと思います。


その偉大なる預言者エリシャは列王記下(2:23)で、とある村にて子供にハゲと罵られました

ハゲていたのでしょう。

辛かったでしょう。


そこで偉大なる愛情深き神のしもべであるエリシャは


熊を召喚し、村人40人超を惨殺したのでした、めでたしめでたし。


・・・本当です。

これが、愛の神の使いの御業。

ハゲは愛の届かぬ最も禁忌であり、それを罵ったり、からかうのであれば神の天罰がくだる、と旧約聖書はおっしゃっているのです。

後はお分かりですね、生活の模範である旧約聖書。

ハゲって言ったら熊に食われる、と幼少時代から刷り込まれているのです。


実際に自分は無宗教で、宗教学を少し嗜んでいるので、こう笑い話のようにかけますが、実際に信仰している人からすれば、本気で恐ろしいことなのでしょう。

そんなこんなで、けして海外でハゲが寛容という訳ではありません。

怖いのです。

そんな微妙な雑学でした。



今回の記事で、3年分くらいの「ハゲ」という単語を使いましたが、全くそういう症状に苦しみ、悩んでいる方を卑下する意図はありません。

どうぞ、ご理解とご容赦をいただければ幸いです。


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2012年06月25日

スマートフォンという名前の由来

過去にWillcomのAdvanced Zero3、実際で言えば、ZERO3シリーズは全て使ってきたのですが、当時は、スマートフォンという名称では呼ばれていませんでした。


実際には、ZERO3が発売した頃には、スマートフォンという言葉はありました。

スマートフォンという名称は、1997年、エリクソン社が提唱した名称であり、商標が絡む部分もあり、使われなかったのと、当時はGeOSと言われるOSを搭載したエリクソンの機種がスマートフォンの主題であり、GS88というのがスマーフォトンと名付けられた唯一の機種でした。

実際は、IBMが1992年にSHARPのザウルスを搭載したSimonがスマートフォンの最初とも言われています。


対するWindowsMobileは、対抗する意味でもWindowsMobileという名前をスマートフォンという意味合いに置き換えていたというのが日本でスマートフォンという名称が進まなかった原因と思われます。

そして、代替えとして存在していたのがPDAという名称です。


APPLEは、1990年代初頭にPDAという言葉を発案し、NEWTONという製品にて攻勢にでますが、時代が追いつかず失墜。
これが、移動端末の一般名称PDAを普及させる一因でした。

これがiPhoneの走りだと思うと、10年の時を経て、iPhoneとして転生したと考える事もできます。

NEWTONには電話機能はありませんでしたが、奇しくも、スマートフォンの最初と言われるSimonと発表の年を一緒とし、実際に発売されたのはNEWTONの方が1年早かったのです。

PDAという言葉は一般名詞としてSHARPのザウルスに引き継がれ、SHARPのPDAは日本ではZERO3のカーネルOSがザウルスを利用していた事もあり、WindowsMobile機種をPDAと呼称するように仕向けていたようです。

やはり、スマートフォンという言葉はここでも使われません。

一因に、スマートという言葉自体が、痩せているとか、スリムという意味で日本では広く認識されている事が挙げられます。

そして、まだスマートフォンという名称は若かったのです。


その後、エリクソン社は変遷もあり、OSの変更等も踏まえつつ「フルブラウザがついており、ハードウェアキーボードを搭載、ToDo機能、メーラーとしての優秀さを併せ持つ、電話のできる機能」を持った移動端末がスマートフォンと名乗れるなったのです。

後は、PalmOSの短絡的なヒット、BlackBerryのビジネスマンへのヒットによって、スマートフォンという言葉が海外で一般名詞になり、徐々に日本のビジネスマンの間にBlackBerryの密かな人気もあり、ゆったりと普及します。

ここまでが旧世代スマートフォン史と言えます。



そして、現代スマートフォンの確信は、初代iPhoneの発表で、賢いという意味だけではなく、使い方・使い勝手でもスマートな、という意味も含め、現在のスマートフォンの新定義をAPPLEがした事で、現在のスマートフォンが再発明されました。


それまでは、「スマート=賢い」という意味でしたが、ジョブズは発表の際に、「賢いけど使いにくい、どうみてもスマートじゃない。」と一蹴します。

そして、タッチのみでほとんどの操作を完結できるiPhoneは「失敗策」として世間に認識されるのです。

なぜなら、ハードウェアキーボードは必要という認識が強かったのと、期待されていたのは、Mac OSXがフルネイティブに完全に動く事が期待されていた為です。

実際に、iPadにも同じ事が言われていました。

しかし、発売してみれば違いました。

結果は大ヒットです。

唯一の弱点は、提携していたのがATベルという会社で、エリア問題があったというところでしょうか。

それまでのスマートフォンに比べて操作性の良さ、動きの軽快さ、サイズ、上回る要因が大きく、すぐにヒットに結びつきました。

後は、3Gの日本の発表以降は知られている通りでしょう。

スマートフォンという名称はいまでこそ一般化しましたが、細かく言えばもっとダイナミックに、且つ繊細に推移していきました。


Androidがなぜ、iPhoneの模倣だと怒られる理由もわかるでしょう。

iPhoneはスマートフォンであって、一般名詞のスマートフォンではないのです。

極限まで賢く、気の利いた、シンプルな美を兼ね備えた最初の発明品だからです。

言い直せば、極限までスマートで、スマートな、スマートさを兼ね備えた最初の発明品、スマート3フォンなのです。

ちなみに、マルチタッチもAPPLEの特許です。
買収特許ですが。

Androidにマルチタッチ等APPLEの特許や意匠を外したら、勝ち目のないモノになっていることでしょう。

それだけ、現代スマートフォンというのは一つの発明から派生したと言えるのです。


しかし、どのスマートフォンも理想として、電子情報を携帯し、仕事を効率化する為に作られています。


そして、それが一般生活にまで手を広げたのです。


どのスマートフォンもユーザーがどういう利便性を求め、どういう風に利用していくのかによって存在意義を大きく変えられます。

そして、スマートフォンを所有するユーザーも、上手に使いこなすことで、生活を変貌させる事ができるかもしれません。


そして、世界初のスマートフォンには、日本のザウルスが搭載されていた事が今でも悔やまれる部分です。

もしかしたら、どこかでちょっとしたキッカケがあれば、今頃、スマートフォンのOSシェアはザウルスがトップシェアだったかもしれませんね(笑


ということで、スマートフォンの名前の由来からスマートフォン史、スマートフォン論まで足を伸ばしてしまいましたが、掲題の結論は、「スマートフォンはエリクソン社が、自社製品に与えたニックネーム」でした。


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タグ:iPhone
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2012年06月14日

ペットボトルにまつわる雑学

今や生活に欠かせないペットボトル。


ご存知でしたか?

ペットボトルのキャップには穴が開いています。


それがこちらです。



ペットボトルの切れ込み
ペットボトルの切れ込み posted by (C)Dei


特にお茶類や着色料等、色素沈殿が多い飲料には切れ込みが入っています。


キャップに穴があいていると聞いて、不衛生とは思わないでください。

この切れ込みは、衛生的に、特に精神衛生上必要なものなのです。


ペットボトルは様々な用途に使われてきましたが、このキャップは特にお茶のペットボトルとともに進化し、定着したものなのです。


まず、お茶は湯のみに注いで飲む訳ですが、長く使えば茶渋で色がつきます。



皆さん、キャップをあけたらキャップの口が茶色くなっていたら飲みたいですか?


そう、このキャップ、実は洗浄用なのです。



普段は切れ込みになっているだけで、ほぼ密閉に近い状態になっていますが、生産中にお茶を注ぐと、お茶の温度でペットボトルとキャップは膨張します。

そして、温水を掛けて洗います。


これが膨張し開いたこの切れ込みに流れ込み洗浄されるのです。


このように小さな穴ではありますが、飲み手の事を考えた重要な発明と言えるでしょう。




余談ですが、日本で最初に発売されたペットボトル製品は日本人には欠かせないアレでした。


醤油です。


1977年にキッコーマンからペットボトル入りの醤油が発売されたのです。

ここから日本のペットボトル史が始まるのです。



今でも調味料で言えば酢等は割りとビン容器だったりしますが、ほとんどのものはペットボトル化されました。


飲料も同様です。

昔はカン以上のサイズともなればビンでした。


更に大きければ一斗缶等もあったようですが。



ペットボトルは残念ながら弱点も少なからずあります。


例えばですが、ペットボトル入のビール等はあまりありませんね。

これは、ビールが紫外線に弱かったり、通気性が実は若干あるため、炭酸が抜けてしまうのです。

コーラ等に比べてビールはかなりの微炭酸ですし、炭酸の強弱で味の感じ方が変わりすぎるのもネックです。


炭酸が抜けにくいコーティングも今はされていますが、紫外線対策もあり、コスト問題もあるのでしょう。


しかし、日本ではどちらかと言えば、環境保護団体が猛反発した歴史もあります。

海外では少なからず、無い訳ではありませんが、やはり、カンがメインのようです。



牛乳等は乳製品に関する法律でビンと紙パック以外に充填してはいけない事になっていました。

一時的に消費拡大を目指し、業界団体で法改正を求めていました。


これは見事に平成19年末には法改正され、販売は可能となっています。


しかし、ペットボトル補充用の設備の高額さや出荷時に厳しい管理の上でしか出荷できず、導入がまず難しいというのが現状のようです。

本当に普及するのか、という懸念もあります。

ビールと同様に環境保護団体の働きかけもあったりするのでしょう。


自分はペットボトル牛乳は割りと欲しいなぁと思ってしまうのですけどね。



ちなみに、ペットボトルは、ポリエチレンテレフタラートの略でPET。

これは和製英語であり、英語ではプラスティックボトルです。


そして、おおよそペットボトルそのものの原価は20円前後と言われています。

勘違いされている方もいらっしゃいますが、ペットボトルはアルミ缶よりかなり重たいです。

同容量の飲料を入れる際にはアルミ缶の3割増ほどになります。


石油製品な為、環境問題に悪影響だと言われますが、10%ほどしか石油由来減量は使われていません。
もちろん、使われているので、それ相応だと思いますが。


と、意外と弱点だらけのペットボトルでした。



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空気感と浮遊感、疾走感のある雰囲気のイイ曲です、どうぞご視聴ください!

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posted by DaysDei at 04:13 | Comment(3) | TrackBack(0) | 雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月01日

優しいとは違う親切な雑学

皆さんは親切な事を日々しているでしょうか?

この親切という言葉は、親を切るのに親切?
親しみを切るのに親切?

等と疑問を持たれる方もいらっしゃるのではないでしょうか。


まず、この親という字は、両親としての意味ではなく、親しみでもありません。

「近い」という意味があります。


そして、切るという漢字にも刃が届く距離、という意味からか「近い」という意味があるのです。

つまり、親切という言葉は「近々しい」という事です。


日本人には少し変わった民族観があると言われています。

特にコミュニティの形成には中々特殊なものが多いとされています。


特に大きいのは、近隣や何かのグルーピングをされた際の仲間意識だと言われています。

これは、不思議な事に、外国人であったり、文化風習が違う人間であっても受け入れる間口を持っているとされます。

日本は戦国時代含め、海外からの侵略戦争は実質はモンゴルからの元寇のみとされています。

なので、国内戦争に目を向けますが、実際のところ、各地域は一国と同じ扱いであり、日本は国内で内戦をしていた訳ではなく、通常戦争が行われていたのと同意でした。

様々な幕府等の取り決めができるようになり、国々が集まる州のような形成をした訳ですが、終戦後には相手方の兵士であろうが農民であろうが、そのまま自国民として扱うのです。

兵役をしていた人間であれば、そうそう出世などは最初から所属していた人には勝てませんが、重税を該当地域に課すことをした武将はあまりいません。

どの国でもそうですが、ある程度敵対している国同士、地域同士であれば、一般人同士すら敵対しやすいのですが、日本国内ではあまりませんでした。

イタリア等は国内が統合されたのは本当に近年であり、内部は元々争いのあった地域だったりするので、国内でも不仲な時期も多いのですが、日本ではそこまでありません。

当然、旧日本軍であれば、薩長等州ごとでのいがみ合いはあったのは事実ですが、一般人同士では近くにいればそういういがみ合いはほとんど起きなかった事でしょう。


日本人には、対面していた人が最も近々しい人なのです。

例えば、知らない人に道を聞かれれば答えるでしょう。
急いでいる状況下でも、今急いでいるから、と断る人の方が少ないのではないでしょうか。

これは、知り合いであっても知らない人であっても一緒ですね。



日本では、他人に優しくする事を「親切」と言う訳ですが、英語では「Kindness」と言いますね。

要するに、海外では「優しくした事」に重点がおかれ、日本では「近々しい間柄と同じに扱う事」に重点が置かれるのです。

親身になる、というのもその人に近い身の上になろうとすることですし、不思議と、優しくする事よりその人との距離感を重要視する文化のようです。

そして、優しくする、というのは捉え方によってはとても自分本位です。
親身になるという事は相手本位であることにも違いがあるのではないでしょうか?

ある意味、日本人には自己というものが足りないと言われるのもこういう部分から垣間見えるのだろう、と感じます。

親切をしたときには、優しくしただけなのか、それとも相手との距離を詰めて親身になれたのか考えてみたいな、と思います。


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タグ:雑学
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2012年05月27日

蛍の光は閉店しない雑学

蛍の光窓の月。

蛍雪の功という故事を由来にして作られた蛍の光ですが、この曲は元々スコットランドの民謡がモデルで、日本そのものの歌ではない、というのは結構ご存知の方もいらっしゃるようです。



オールド・ラング・サインというスコットランドの民謡になります。


さて、この蛍の光ですが、一番聞く場面は「卒業式」と「お店の閉店前」という認識があると思います。

卒業式に歌ったり流れたりするのは間違いなく蛍の光です。

そして、閉店で流れるのは、「蛍の光」でも「オールド・ラング・サイン」でもありません。


よく聞くと、拍子が違い、メロディーのとり方も違います。


この曲は「別れのワルツ」という曲です。

ワルツらしい3拍子で作られています。

ドツツドツツ・・・というリズムになっています。

蛍の光は、一般的な四拍子のウンタンウンタンでリズムが取れます。


この別れのワルツというのは、映画別れのワルツに使われた名曲です。

蛍の光と同様にオールド・ラング・サインを編曲したものです。

実際に、閉店時の曲と比べて見るとよくわかります。


検索して見つけたのが初音ミクでしたが、わかりやすかったので掲載します。




そして、こちらが「別れのワルツ」です。




ドツツドツツドツツ・・のワルツのリズムですね。

つまり、閉店時に流れているのは、蛍の光ではなく、「別れのワルツ」の方です。




さて、せっかくなので、蛍の光のお話をさせてもらいます。

実際に蛍の光は2番まで歌われる事がほとんどですが、軍国的な歌詞に解釈される節が多々がある為、3番と4番は封印されていることが常になっています。

海軍学校の卒業で使われた告別行進曲という編曲も受けている為仕方ない事なのですが。

そして、その封印されている歌詞は何度も文部省から改変を受けています。

そのため、完全オリジナルを聞く機会はほとんどありません。

それを踏まえ、蛍の光は時代に翻弄された名曲と言えるでしょう。



さて、ここで気になるのが、オールド・ラング・サインの歌詞です。

この曲を知りつつも蛍の光を考えると、蛍の光を見る目が変わるかもしれません。


蛍の光はどちらかと言うと、出ていく者からの感謝の意であったり、その心情が主軸の物語性のある歌詞になっています。


大して、オールド・ラング・サインはまた違った歌になっています。
和訳が面倒でしたのでWikipediaから引用させて頂きました。


1番では、故郷から別れた後、お互いを忘れて行ってしまうのだろう、という過去を振り返りながら現実を見るという歌詞から始まります。

~~~
Should auld acquaintance be forgot,
and never brought to mind ?
Should auld acquaintance be forgot,
and auld lang syne ?

旧友は忘れていくものなのだろうか、
古き昔も心から消え果てるものなのだろうか。
~~~


しかし、そこにコーラスが入り


~~~
For auld lang syne, my dear,
for auld lang syne,
we'll tak a cup o' kindness yet,
for auld lang syne.

友よ、古き昔のために、
親愛のこの一杯を飲み干そうではないか。
~~~~



と続きます。


2番では


~~~
And surely ye'll be your pint-stoup !
And surely I'll be mine !
And we'll tak a cup o' kindness yet,
for auld lang syne.

我らは互いに杯を手にし、いままさに、
古き昔のため、親愛のこの一杯を飲まんとしている。
~~~~


つまり、再開したのです。


~~~
We twa hae run about the braes,
and pou'd the gowans fine ;
But we've wander'd mony a weary fit,
sin' auld lang syne.
我ら二人は丘を駈け、可憐な雛菊を折ったものだ。
だが古き昔より時は去り、我らはよろめくばかりの距離を隔て彷徨っていた。


We twa hae paidl'd in the burn,
frae morning sun till dine ;
But seas between us braid hae roar'd
sin' auld lang syne.

我ら二人は日がら瀬に遊んだものだ。
だが古き昔より二人を隔てた荒海は広かった。
~~~


3番では思い出話をしているのでしょうか。
そして、思い出話から現実にある距離の遠さに寂しさも感じたのではないでしょうか。


~~~
And there's a hand my trusty fiere !
And gies a hand o' thine !
And we'll tak a right gude-willie waught,
for auld lang syne.

いまここに、我が親友の手がある。
いまここに、我らは手をとる。
いま我らは、良き友情の杯を飲み干すのだ。
古き昔のために。
~~~~


と、終わります。

再開を懐かしむ歌になるのです。


どうでしょうか、蛍の光は別れ出る歌であり、そして、その原曲は再開の歌であるという事。

これには因果を感じざるを得ません。


蛍の光に慣れ親しむ日本人、その原曲に遡り行くと、そこには再開の歌が待っているのです。

これは、違う世界に出た後、故郷に戻ればまた再開が待っている事を上手に暗喩しているのではないでしょうか?

これほど巧妙に、そして優しいロマンに溢れる創造物を僕はまだ知りません。


時たま、この話をすると、日本の曲じゃないのであればパクリじゃないか、と憤慨したり、がっかりされる方がいらっしゃいます。

しかし、創作物というのは一様に何かを改変したりする事に一意がある事は多いものです。
この蛍の光はその中でも一番素晴らしい作りだと自分は思っています。

ただのコピーだったりカバーだったり・・オリジナリティがないと批判されるでしょう。
しかし、アレンジだったり、このような改変であればパクリと一蹴されます。

しかし、この蛍の光のように、大きな流れや一意を与える事ができるのであれば、それには一つのオリジナルがあると自分は考えます。


それでも、商用楽曲を使う場合には適切な法的な手続きがいります。
それはルールなので是非、守りつつも曲作りに生かしたいと思います。


それでは、あなたが卒業式で歌った蛍の光にまた、再開のオールド・ラング・サインがありますように。



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タグ:雑学
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2012年05月25日

空が青い雑学

皆さんは小さい子供に「虹はどこにつながっているの」や「空が青いのはなんで?」と聞かれたり、聞かれた時にどう答えるべきなのか、という問いかけを体験したり見聞きしたこともとがあると思います。
夢のある解答をする方が良い、という人もいれば、現実的な解答をするべきだと言う方もいらっしゃいますよね。

自分は、それこそ教育方針だと思うので、自由だと思っています。

どちらかと言うと、自分は大嘘をついて、夢を与えたいと思っています。



しかしですが、逆に「なぜ空が青いのか」という事を正確に解答できるでしょうか?

これは中々難しいものがあります。

さて、今回は、この空の青さについてご説明します。



空が青く見えているのは、錯覚です。実際に、空に色づいているものは無く、無色です。

光は基本的に可視光線と言われる波長と、外線を含む一定の波と言われています。
(※物理学上では、光は実際には粒子的な要素もある事が確定しています)

さて、この可視光線はすべての波長が揃っている状態だと、無色透明の光になります。

しかし、空気中には無色であっても物質があります。

空気や水蒸気です。

この水や水蒸気によって光が拡散されるのがポイントになります。


ここで、音楽の知識が役に立ちます。


よく、隣の家や車、その他オーディオから音楽が聞こえてくる事はありませんか?

大体、距離があると、低音の方が良く聞こえる、近いと高音の方がよく聞こえるという現象が起きます。

隣に座った人のイヤフォンからシャシャカと高音成分が聞こえてくるなんて言うのを体感したことはあるでしょう。

数メートル離れた車からはバスドラムやベースの音の方が目立って聞こえてきます。



低音と高音を分けているのは、波長の差です。

音も波であって、高音は波の幅が狭い、つまり、波長が短い波なのです。

逆に低音であれば、波の幅が広く、波長が長いという事になります。


波長が短い高音は近くだと良く聞こえるが、遠くなると減衰してしまい、聞こえなくなります。

波長が長いと、近くであれば、波長が短い音よりは聞こえにくく、逆に遠くなっても波長の減衰が少ないのです。



これを光に応用します。



光の波長で長いものは赤から青になり、短いものは紫になります。


青い光は波長が短い為、早く大気に触れると拡散し始めます。

拡散しきってしまい、減衰しきる前に目に届けば、拡散した波長が広がった状態で見える為、空は青いのです。


せっかくなので、夕方になると空が赤くなる理由も言ってしまえば、夕方に近づくと、太陽と観測者の距離が遠くなります。

そうなると、間に入る大気の層が増える訳です。


空の色説明
空の色説明 posted by (C)Dei

とても絵心もなくわかりにくい図ですが、絵の上部に黄色い太陽があるのが昼間の状態です。

観測者である人との距離は近いですね。

そして、右側が大体夕方の位置をイメージしています。

比べてみると、大気の層が夕方の方が厚くなりますね。


こうなると、短い波長の方が観測者まで減衰が少なく届くのです

つまり、夕方は赤いのです。



空が夏の方が青く見えるのは大気中の水分が多くなるため、拡散量が多く、且つ、太陽との距離が近い為、拡散されても届く光が多くなり、余計青くなります。


この光が拡散する現象をレイリー拡散と言います。

空が青いのもレイリー拡散の影響と言う事になります。


虹は光のこの波長が水のプリズム効果で分離されたものです。

これをスペクトル分解と言います。


虹がつながっている場所は、太陽との角度・距離が変わらず、人が追いかけた場合には、同じ距離だけ離れて行く事になります。
そして、観測者と水分が作るプリズムの視点が合わなければ見れないので、地面に行けば行くほど消失していきます。



更に蛇足になりますが、可視光線というのは目に見える光の事で、波長が長い赤色より更に長い光を「遠赤外線」と言います。赤より遠い、可視光線の外の光、という事ですね。

更に、逆に青を超えて更に紫を超えてしまうと、紫外線と言います。紫の可視光線外の光、とこれもわかりやすいですね。

波長が短いとその力は強くなります。
紫外線が有害なのもそれによります。


そして、放射線というのも実は波長の短い電磁波です。
波長が短い分、力がある為危険なのです。

携帯の電波も放射線も同じもので、波長が違うだけなのです。

放射線の種類にX線やγ線等がありますが、これも波長が違うだけです。

そして、危険なα線等は波長が短すぎる為、1mmどころか10ミクロン単位でしか波が届きません。
その短い距離で力を出しきる為、体内へのダメージがすごいのです。

このα線を出すのがプルトニウムです。

プルトニウムは内部被曝をするのが特に危険な放射性物質と言えるでしょう。

セシウムはβ線がメインですね。
これも届く距離は短く、1mにも満たないと言えるでしょう。

つまり、1m範囲内で力を出しきるので、これも内部被曝が危険な放射性物質です。


極端に、α線を大量に浴びると、電子レンジに入ったのと同じ状態になるとも言えます。

なぜなら、電子レンジも波長の短い電磁波だからです。放射線ほどではありませんし、対策もされているので、蓋を閉めて正しく使う分には影響はありません。

時たま、蓋の鉤爪が入るストッパーを無理やり押し込んで蓋をあけて使ってみたり、壊れてしまい、扉をあけたままでも電子レンジが使えるようになっている人がいますが、大変危険なので、すぐに修理に出すか廃棄するなどして、適切に使える電子レンジをご利用ください。かなり危ないです。


太陽の話からかなり飛んでしまいましたが、現実を知った上で夢のある話ができるといいですね、将来、子供が大きくなった時に本当の事を伝える事で、また親として自身が成長できるのではないでしょうか。


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2012年05月16日

首を長くしていると眠れない雑学

人間は8時間、少なくとも6時間ほど寝るそうです。
もちろん、とんでもなく長く寝る日もあれば、短い日もあります。

よく寝る動物・・それはナマケモノかコアラか、と言われています。

ナマケモノが20時間前後、コアラは18〜22時間ほどと言われているようです。


逆に短い動物と言えば、カモメやイルカが半眠はするとしても、完全に寝る事はありません。
脳の半分づつを休ませ、活動は続けるのです。

割りとそういう意味で睡眠がほとんどない動物は多いですが、完全睡眠をする中で短い動物というと、キリンだそうです。

15分から30分ほどの睡眠しか取りません。
しかも、寝るときには、犬や猫のように足をたたみ、かがむような体勢になり、そして、その背中の上に首を円を描くように乗せて寝るのです。

すごいきつそうな体勢で、自分なら間違いなく寝違えるでしょう。

睡眠時間が短いから問題がないのか、それとも、寝違えるから短いのか、なんて思ってしまいます。


さて、人間は寝ている間、基本的に仰向けに寝る方のが多いのではないでしょうか?

一昔前にマットレスを作っている会社が、寝やすいように普段立っている体勢と同じように背骨がS字になるように調整したマットレスを試作したそうです。
しかし、寝づらく、逆に背骨がなるべく直線に近いように作ったところ、寝やすく、またそのマットレスは良く売れたそうです。

さて、寝る姿勢ですが、本当に仰向けが一番いいのでしょうか?

実は、女性は一概にそうとも言えないのです。

なぜなら、妊娠期間がある為です。
妊娠期間では、うつ伏せにはまずなれません。

そして、妊娠末期では、仰向けも荷重がかかる為、中々苦しいものがあります。

そのため、妊娠期間も含め、女性は割りと、横向きに寝る方が楽だという方も多いのです。

抱きまくら的なものが女性の方に割りと人気が高いのも頷けます。


最近は、快適な睡りをとる為に、こだわった寝具を購入される方も多いのですが、なるべく一度は体験させてくれて、且つ、その際には横向きも試した上で選ぶのがいいかもしれません。

オーダーメイドも根強く人気のようですが、寝具は一度買えば中々交換はしません。
なので、しっかりと考えて作ってもらうのがいいと思います。


最近は低反発マットレスなども人気ですよね。
自分も安物ではありますが、低反発マットレスを愛好しています。

一昔前にはせんべい布団だったのですが、もう戻れません。

一日の疲れはちゃんと夜の内にとれるといいですね。


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2012年05月14日

現代の二宮金次郎は120kmを自転車で走る雑学

皆さんは自転車で120kmを走れますか?

自分には無理に近いでしょう。


しかし、近代にはこれを続けた方がいるのです。

しかも、周りからは罵倒され、否定され続けても。


今回のお話の主人公は相沢忠洋氏という方です。

今でこそ考古学者として小学校又は中学校の教科書の「本文の1ページ目」を飾る人物となっています。
本文の1ページ目に彼の功績がでない歴史の教科書はないでしょう。

そんな彼が発見したのは「日本が縄文時代以前の旧石器時代があった証拠」です。
当時は、日本という地域には縄文時代から始まると思われていました。

現行の教科書には「旧石器時代」又は「先土器文化」等というページを加えたのです。

歴史が嫌いな中学・高校生には敵かもしれませんね。



相沢氏は幼い頃に考古学に興味を示しました。

その後、両親の離婚で群馬県桐生市へ移住します。


そして、彼は中等教育も受ける事なく、社会に出ます。
職業は納豆等を行商していました。

しかし、彼は考古学の憧れだけは捨てませんでした。

ある日、隣町の現群馬県みどり市笠懸町の山中の切り立った崖から細い石器のような破片を見つけるのです。
しかし、あまりにも小さく、これが石器であると断定するには至らなかったのです。

これが彼の考古学心に火をつけたのかもしれません。

彼はその後、暇さえあれば発掘調査を行ったのです。

3年ほどして、見つけたのです。
石器を。

彼は行ったのです。東京の有名な教授に本物か鑑定してもらう為に。

自転車で。


120kmの道です。

そこで出会ったのが芹沢氏であり、その後もアドバイスを相沢氏に授け続けたのです。

相沢氏は、そのアドバイスを聞くために、毎度、片道120kmを自転車で通ったのです。


そして、群馬県みどり市にあるその切り立った山を本格的に調査する事になったのです。

念願叶い、確実に石器時代が日本に存在しうる石器の存在が認められ、相沢氏も見事にデビュー・・とは行かなかったのです。


当時、学歴もない相沢は、発見のニュースに一切、名前を書かれる事もなく、それどころか、自分が発見したなどと嘘を吹いて回る大ボラ吹きと揶揄されたのです。

お偉い先生方から妬まれ、行商人風情と言われ、罵られていくのです。


しかし、そんな誹謗中傷は相沢氏の考古学への熱を冷ますには至りませんでした。


その後も、彼は独自であったり、芹沢氏の協力であったり、遺跡の発掘を続けるのです。

そして、いくつもの旧石器時代の遺跡を発見していくのです。


そんな彼に妬むしかできない先生方の誹謗中傷に世間は騙されなくなってきたのです。


発見から10年以上、罵られ続けた相沢氏は群馬県から表彰されました。

吉川英治文化賞も受賞し、大きな名声こそ言われなかったものの、正しい評価を受けるのでした。

その後も、相沢氏は大学の講師にも着任しながらも、考古学活動を続けたのでした。


そして、1989年に永眠。その際に国から勲五等勲章を授与されるのでした。



自分は思うのです。
彼は120km自転車で走り続けました。

きっと幸せだったでしょう。

心が踊った事でしょう。

今日は先生にあれを聞いてどうしたらいいのか教えてもらおう。
こんなモノを見つけた、石器でしょうか、私はこう思う。

と、色々考えを巡らせたでしょう。

きっと、これは名誉ある大きな学会での論議の何百倍の価値があるのではないかと思ってしまいます。

彼が最初に発見した遺跡にふらりと立ち寄るのもいいかもしれません。

群馬県みどり市笠懸町にある岩宿遺跡(いわじゅくいせき)と言う場所です。

http://www.city.midori.gunma.jp/kankoguide/miru/iseki.html


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2012年05月13日

徳川幕府は現代でも日本を統一していた雑学

徳川家康公と言えば、江戸幕府を作り、天下を統一し、のちの250年ほども続く統治者として、当然、日本人、外国の人でもある程度、日本史を学ぶのなら知っているのでしょう。

さて、その徳川公は日本を統一しましたが、徳川慶喜公の代にて、明治維新により没落し、日本は天皇制に移行しました。

さて、そのあとの徳川家はというと、中々知っている方はいませんね。


もし、この徳川家が「現代でも日本を統一していた」と言われたらどう思いますか?

まさか、と思うでしょう。

しかし、今、この記事を読めているのは、間違いなく、徳川家が統一を果たした結果でもあるのです。



さて、江戸時代が終焉した後も、徳川家は死罪になったりした訳ではなく、基本は隠居等をさせられ、代々続いていきました。

実際に3武将と言われる織田家も血筋は直系ではなくとも残っていたりするわけです。


その尾張徳川家は特に特殊だったとも言われています。

尾張徳川家で特に有名なのは徳川義親氏でしょう。


彼は色々な逸話を残しています。

例えば、皆さんは北海道のお土産と言うと、何を思い出しますか?

そうですね、木彫り熊ですね。


あの木彫り熊は、徳川義親その人が広めた物です。

北海道にある徳川家所有の農場にてヒグマ被害を抑える為にヒグマ狩を定期的に行なっていた時期があり、その頃に、スイスのお土産を真似て冬の現金収入の為に作ったのが事の起こりです。

彼は有名だった為、農場のお土産からいつしか北海道のお土産とまで発展したのです。

木彫り熊がすごいのか義親氏がすごいのか。


さて、そんな義親さんは療養の為に、マレー半島に足を運びます。

そのさなか、余興で虎や象を狩る事がありました。

それが日本で大々的に宣伝され、いつしか「虎狩り殿様」と呼ばれるようにもなりました。


余談ですが、トラ刈繋がりで、理髪師の大体から名誉役員になってほしいと依頼され、名誉役員になっています。

他にもシンガポールに戦中は軍政顧問として赴任し、美術品や図書を戦火や略奪から守りぬき、無傷で戦後に返還するなど、中々の懐の深さを見せています。

そして、愛知県にある小牧城という、私財であった織田信長が最初に自力で立てた城跡を国に寄贈しています。
その城の前には義親氏の像が置かれています。

こんな色の濃い尾張徳川ですが、このひ孫に当たる方が今回のスポットライトです。


その方は、尾張徳川22代目で、現当主である徳川義崇氏と言います。

彼の若いころの職業は「プログラマ」です。

そんな彼は日本を統一する元になるのです。


1970年代から1980年代、この頃、日本では大きな大学にはコンピューターがあり、その内部でネットワークが構築されていました。

いわゆる、イントラネットと言われている、一定の範囲内でのみのネットワーク回線です。

各学校によって所有している知的財産だったり研究資料はバラバラであり、各々参照することもままなりませんでした。

そんなある日、「ミスターインターネット」と将来言われる村井純氏が大学間のデータを移動させる為に、勝手に、そう、勝手にです、慶応義塾大学と東京工業大学を勝手にネットワーク接続するのです。

この流れ?に東京大学が加わり、実験用ネットワークになっていくのです。


そして、このネットワークを管理する団体が設立され、運用されるのです。

名称はJUNETと言います。


そして、この団体が、日本のインターネットの基礎になるのです。

言うなれば、この団体が、日本の情報というものを統一するのです。

この団体を設立した本人であり、その副会長職に就任していたのが徳川義崇氏その方だったのです。

つまり、徳川家は日本を一度は平和な形に統一し、それから100年余で、今度は日本の情報を統一するのでした。


皆さんがこの記事を読めるのも徳川家の影響があったと言えるのですね。

中々不思議な縁もあるものです。


ちなみにですが、JUNET記念日というのがありまして、7月1日です。

この日は、ニュースがネットで配信される事に感謝してニュースの投稿を控える日だったそうです。

自分もそれに感謝して7月1日に記事の投稿を控える・・訳がない気がしました。

是非とも、このブログもこれからもよろしくお願いします。


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2012年05月12日

一秒が一秒じゃなくなる雑学

2012年はうるう年でした。
このうるう年の意味は割りと知られていると思います。

1年は365.25日が正しく、地球が太陽の周りを一周するまでの日数に中途半端な数値が含まれていいるため、4年に1回、うるう日を加える事で日付と季節のズレを訂正しています。


さて、このうるう年は「地球の公転の補正」の為にあります。

自転には・・・あるのです。


これが「うるう秒」です。

このうるう秒は、24回、近年では2008年に行われました。

地球の自転は、基本的に24時間で一周します。
24時間で次の朝が来るのですが、そんな事はありません。

常時、潮汐力や氷河分布状態、その他の要因でずれるのです。

これが困ったもので、ズレたら偶然でしか時計と地球の自転は一致しなくなります。

すでに、20年ちょっとで24秒も誤差があります。

実際に言うと、地球の自転は遅くなっており、100年ほどで1秒ほど遅くなります。
これは、将来的に年間1回、または年間2回ほどのうるう秒が入る事になります。

最後はどこかで止まる、とも言われています。

当然、何百年では済まないくらい先の話です。

さて、このうるう秒は不定期で挿入されます。

世界の時間の基準はUT1(地球自転基準時間)とTAIという2つの基準があります。

UT1は地球の自転に合わせた時計です。
TAIはいわゆる、原子時計です。

原子時計はセシウムの遷移時間を基準にしています。これは特性上、ずれる可能性がほぼ0に等しい時計です。
一方、UT1は自転速度で変化します。

この2つの時計が存在しているのは、生活運用であれば、太陽が登れば朝、沈めば夜、となるUT1が利用され、学術的に正しい時間を求める為にはTAIを使います。

しかし、この時間は徐々にズレが生まれる訳です。
不一定のUT1と完全に一定のTAIであればそのズレ幅がその内、大きくなります。

これの調整の為にTAIに秒を増減します。

今のところ、1秒減、つまり、UT1が遅くなっている方向にしか調整されたことはありませんが、可動時に、前提の補正として-10秒が与えられ、その後30年間で24秒がマイナスされています。

最初に発案された50年前から換算して34秒地球は遅くなったと思っていいでしょう。
これが続けば、1日が23時間59分、23時間58分と覚える日が来るかもしれませんね。

ちなみに、マイナスは、基本的に6月末と12月末のどちらかに行われます。

そして、35秒目は順当に行けば、今年の6月末です。

今年の6月末に、世界の時間が変わります。

そう、タイトル通り、1/100秒ほど遅くなります。

または、ありえない時間が生まれます。


NTTの時報サービスでは、6月30日23時58分20秒のアナウンスの後のカウント音が、通常、100回のはずが、101回、つまり、その間は1秒が1秒ではなくなるのです。
日本標準時間の時計と1秒の長さが遅くなります。興味がれば、時計を持って、117にかけてみてください。

基本的にそのほかのサービでは、6月30日23時59分60秒と、59秒の次は0になる60進法の原則を突き破るのです。
なにかしら時報サービス等を見るのであれば、是非確認してもらいたいですね。

今年は金環日食も含め、大きな流れを感じるイベントが多いようです。


さて、余談ですが、体内時計という言葉はご存知かもしれません。

体内時計は、1日25時間周期です。

これは、生物が誕生した頃、地球上は、1日が25時間あった為と考えられています。

1日が1時間ながければ・・・そういう時代もあったのです。

生活のリズムの調整を整えるときは、25時間で考えると、大事な局面で管理が上手く行くかもしれません。
一度試してみていはいかがでしょうか?


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2012年05月11日

マリー・アントワネットはパンがなければケーキを食べろなんて言わない雑学

久しぶりに適当に覚えた雑学を。

表題のセリフ、有名ですね。

「パンがなければケーキを食べればいいじゃなーい。」

と、金持ち気分を押し出した名言中の名言。これが引き金でフランス革命が起きた、と言うくらいの言い方をされる人もいるほどインパクトのあるお言葉です。


さて、フランス革命の動機には大きく分けて2つの原因があると言われています。

まず、1つ目が周辺諸国の近代化です。
アメリカ等が自由を押し出した民主主義を立てたり、ヨーロッパに民主主義の前進のような思想が広がっていました。
その中でも、フランスは特に強い王政を強硬していたのです。

実際、これはこのフランス革命の先導者になっている人物達の大きな動機です。


そして、2つ目が財政赤字です。これはフランスでは対外戦争が続いており、それらの赤字の積み重ねと、貴族等の浪費も膨らんだ結果といえます。

基本的に、財政が赤字になれば税金を増やし、財政を立て直す方向になっているわけです。
実際の経済はそう簡単ではありませんが、中世代では一番妥当な方法だったでしょう。

そして、増税によって食料が買いにくくなったのです。
フランスではパンが基本的な主食になります。

このパンですが、実は「基本非課税」だったのです。
そして、怖いのがここからです。

消費税はありとしても、一定の通路を通ると、所持品に税金がかかるのです。
国内関税とでも言えばいいのでしょうか、名称までは詳しくありませんが。

食料に多量の税金が取られれば民衆も怒ります。
これがフランス革命の大多数の一般市民の動機になります。


さて、話は戻って「パンがなければケーキを食べればいい」という意味について考えます。

一般的に、世間の金銭感覚や一般常識を知らない貴族が代替品なんていくらでもあるでしょう、的な意味で放った言葉とされています。

そして、言ったのはマリー・アントワネット。

先に言いますが、このセリフは捏造です。
なので、マリー・アントワネットはそんな事は言いませんでした・・、とは締めません。

実際には、誰かは不明ですが本当にこのセリフは言われています。


Qu'ils mangent de la brioche

これが問題の「パンがなければ」の原文です。

まず、このフランス語を正しく日本語訳してみましょう。

「皆はブリオッシュを食べること」

ケーキではありません、ブリオッシュです。

時たまパン屋さんで見かけますね、ブリオッシュ。

基本は乳製品をふんだんに使った、若干甘いパンです。
他にもクロワッサン的なものも指したりするようです。

このブリオッシュは、どちらかと言うと菓子パンです。

現在の自分達に当てはめれば、アンパンです。
おやつにしてもいいし、場合によっては食事にもできる。
でも、食パンよりは高いね。

お米でいい直せば、お餅といった具合でしょうか?
という具合の製品です。

当時のパンは水と食塩、小麦粉を練り合わせて作るのが一般的なパンでした。

卵や牛乳、バターをふんだんに使うブリオッシュは若干高いものでした。

しかし、生クリームふんだんのスポンジケーキに比べたら敷居が下がりましたよね?


現在風に直せば「食パンがないならアンパンを食べればいい」「お米がないのならお餅を食べればいい」になります。
なんとなく、うん・・まぁ・・となりますね。


しかし、それでも、国民がお金がなく飢えているときに、高いものを買え、は怒られるでしょう。

しかししかし、このブリオッシュ、現在と昔では形態が違うのです。

どちらかと言うと、乾パンに近い保存用のパンだったそうです。

それでも、普通のパンに比べると金額はまだ若干高いのです。
それではまだまだ国民はお怒りです。

やはり、高圧的に、「お米がないなら餅でも食べなさい」になりますね。



ここで当時のフランスの法律を見てみましょう。

パンが供給不足になった際、ブリオッシュをパンと同額で販売すること

という法律がありました。


さて、物が高騰する原因というのは、「供給に比べて需要が過大にある」事です。
つまり、同額の品で、用途が同じ(食事として食べる)物があれば、総合的に見れば供給量が増えます。

上手く言えば、バランスが取れ、金額が落ち着く事もありえます。
そして、本来の物の供給量が回復、または増えればいいわけです。
但し、パン屋さんは損なのでしょうけども。


なんとなくわかったでしょうか?

このパンがなければケーキを食べなさい、に引用される文章は、「パンが不足しているから、ブリオッシュをパンと同額にするように」という指示を出していた一文ともされているのです。


お米とお餅で言えば、「お米が不足したから、餅を同額で売る政策を実施します」となるところでしょうか。



こうして、この意味を無理やり変えてきた民主主義の旗を振りかざした過激派によってマリー・アントワネットは謂れ無き汚名言を着せられ処刑されました。

しかし、浪費やら財政赤字の一旦になったのは間違いありません。
ただ、何千人いる貴族の一人なので、大した事ないんですけどね。
貴族の浪費金額は、戦争費用と比べても何万分の一くらいだったのでは、という試算もあるようです。
ここは聞いただけなので確定しませんが。
一般庶民からしたら、それでも怒りますよね。片やパンを買うのに難儀しているわけですからね。


なんにせよ、歴史も含め、こういう改ざんは多々あります。

それでも、この改ざんされた言葉から学ぶ事もあれば、覚えやすさもあります。
本当の歴史を知りつつ、こういう事もあるのだ、と表裏を知った上で楽しめるといいですね。






しかし、フランス革命で許せないのがアントワーヌ・ラヴォラジエの処刑です。
アントワーヌ・ラヴォラジエは徴税人でした。

先程の、通行する際に税金を取り上げる担当の貴族です。徴税人は貴族の仕事ではありませんが、彼は進んでやりました。

それは、大好きな科学の為に実験費用が欲しかったからです。

彼が発見した事は大きかったと言えるでしょう。誰もが知っているものを見つけました。

元素というものを定義し、酸素や水素と質量保存の法則を発見したのです。
そして、かなり高精度な定量測定の方法を自力で編み出したのも大きい事でしょう。
それい外にも、メートル法を定義した一人でもあります。1kgの重さや体積の定義したのと同意ですが、実際には死後の仲間の功績が大きいのですが。

そして、彼は税金に関しても、手数料を取ったものの、減税にも注力をしており、実質的にはトントン以下にする工夫をしていたそうです。
今で言う、税理士的な事をしているのです。
(税理士さんは減税、免税を可能な限りで合法に行なってくれるお仕事ともいえます。)
最後はその人気から国家財政委員にまで上り詰め、減税等を含めた財務改革を担当するまでになります。


そんな彼は、フランス革命の際にギロチンにかけられます。
フランスには徴税人も科学者もいらないためだそうです(当時科学者は特別な身分扱いだったのです)。

その処刑を決めたのは、フランス革命の指導者の一人ジャン=ポール・マラーと言われています。
彼もまた、科学者だったのです。

マラーが学会に提出した論文の審査が回ってきたのがラヴォラジエその人でした。

内容はひどいもので、憶測で実験も行なっていない事から、却下したのです。

それを逆恨みし、嘘の罪状でギロチンにかけられました。
罪状は「水と有害物質をタバコに混入した」ことだそうです。
(ラヴォラジエは農夫の為に農薬の開発等も行なっていたのです)

まだ、徴税人としてギロチンにかけられるならまだしも、逆恨みであり、嘘の罪状による処刑でした。

そして、このマラーは革命成功後、指導者の一人として君臨し、恐怖政治を敷きます。
最後は暗殺されますが。

このように、民主主義の初期は混迷を極め、今でもフランス革命の主題である自由、平等、友愛を基礎に日本も含め、民主主義国家の基礎テーマになっています。
注意して欲しいのが、このテーマには「理性」というのもが求められており、理性があるのであれば、暴力だろうが社会制度が息苦しくなろうが構わないという考え方があるのです。

自由、平等、友愛に理性と責任を加えたのが民主主義になり、そのまま理性を強化していったのが社会主義や共産主義になったとも言われています。

現在、日本は若干、責任という言葉が欠如しはじめているような気がしています。
ニュースを素人目で見てそう思っているだけなので、どうかとは思いますが。


さて、このラヴォラジエが科学者として成功を収めたのにはもうひとつ、理由があります。
彼の妻が大きく影響しているのです。

妻はマリー・アンヌ・ペレット・ボールズ=ラヴォラジエといい、もともとのラヴォラジエの徴税人の上司にあたる人の娘です。マリー・アントワネットではありません。

普通、貴族やその階級の女性は科学の知識を得る機会はありませんし、興味はそこまでなかった場合がほとんどです。逆に言うと、学者というのは男の仕事でした。

その中で、マリー・アンヌは夫がしている仕事を徹夜であれば一緒に徹夜をし、実験の手順や内容すべてを精細なスケッチで残し、英語、ラテン語、イタリア語を学び、最新の論文を訳し、また、夫の論文を訳したそうです。

各国語も、スケッチも、科学の知識ですら、結婚後、夫の役に立つために新たに学んだそうです。
他にも社交術も長けていたパリの美人リストにも載っていた美女だったとかなんとか。

これで成功しなければ男として死んだも同然ですね。

自分たちが吸うこの酸素が見つけられるまでには、最高の女性による助力があった事を忘れてはなりませんね。

ただ、現代のように男女で自由に行動を選べるのだったら、ラヴォラジエ婦人に、あなたほどの才能があるのであれば何をしたいのか、と尋ねてみたいところです。

ソフィ・ジェルマンのように自ら好んで学問に見を投じた訳ではありませんからね。

でも、ロマンティストな自分は、是非、夫の仕事を一緒にしたい、と言って欲しいものです。



余談の方が長くなりましたね。長文ですいませんでした。


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2012年05月08日

右手と右足が同時に出るのは間違ってない雑学

皆さんは右手と右足を同時に出して歩く、緊張しているベタなシーンを、マンガやドラマ、または現実に見たことはあるでしょうか?

この歩き方、恥ずかしい、とか間違ってるとかおもわれる方もいるでしょうが、あながち間違っていないのです。


右手と右足を同時にだすことで、重心の移動がスムーズになり、瞬発力がでて、ひねらないためスタミナの浪費が少ないという素晴らしい歩き方になるのです。

実際に、この歩き方で1日を100km以上ゆうに歩いていた方がいらっしゃるのです。


この歩き方を「ナンバ歩き」と言います。

どちらかと言うと、右足と「右半身」を同時に前に出す感覚なのですが、これは、江戸時代には飛脚や、袴や羽織に風を纏いつつ、着崩れを防ぐ武家の歩き方でもあったのです。

飛脚さんはこの歩き方で1日100kmを走り抜け、江戸時代の流通を守り続けたのです。

そして、ナンバ歩きがしっかりできると、中々威圧のある歩き方になるんです。
武家にもよく似合った事でしょう。


現代の歩き方の原型は、ドイツ式の行進が元になっているとか色々言われもありますが、腰への負担が大きいので、歩く際には正しい歩き方を実践してみるといいでしょう。


一度、ヒモでも道の白線でもいいので、その一品の線の上に爪先を綺麗に載せて、前の足を横にスルっと避けるように歩くと割と姿勢が安定します。

言ってしまえばモデル歩きですね。


是非、歩き方にも気を遣って、健康に気をつけて過ごしたいものですね。





昔、デューク更家さんの講座に行ったことがありましたが、それ以来、歩くのが楽になった気がします。
散歩なら2〜3時間していても全く疲れたりはしません。

写真を撮るようになって、これは得したな、と思いました。


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2012年04月25日

天は人の上に人を作らない雑学

天は人の上に人を作らず。

福沢諭吉で有名な一万円札さんのお言葉です。


・・・あまりボケても自分に合いませんね。


さて、このお言葉を間違って覚えている方が意外と多いようです。
指摘されているウェブサイト等もありますが、せっかくなので自分もお話させていただきたいと思います。

この有名な言葉は、「学問のすゝめ」という書物の冒頭にでてくる一文です。
そして、最初から違うのです。

正式に書くと、
天は人の上に人を造らず,人の下に人を造らずと云えり

という一文なのです。


さて、「云えり」とついただけですが、これで何が変わるのでしょうか。


多くの方がこの「天は人の上に人を造らず」を「人はすべて平等です。」と勘違いをされています。

え、平等じゃないか、と思う方もいますが、実際は違います。

そして、この云えり、とついた事で、この文は

「天は人の上に人を造らないとは言うんだが・・・。」

と言った意味になります。


つまり、続きがあるのです。


次の一文はこうあります。

されば天より人を生ずるには,万人は万人皆同じ位にして,生れながら貴賤上下の差別なく,万物の霊たる身と心との働を以て,天地の間にあるよろずの物を資り,以て衣食住の用を達し,自由自在,互に人の妨をなさずして,各安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。


要約してしまえば、「人はすべて平等であり、差別なく自由に且つ、安寧の中に生きるという趣旨である。」と、「天は人の上に人を造らず」の一文を説明しています。


さて、ここは問題ないでしょう。

問題は次です。

されども今広くこの人間世界を見渡すに,かしこき人あり,おろかなる人あり,貧しきもあり,富めるもあり,貴人もあり,下人もありて,その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。


見ればこれは特に要約の必要のないほど明快です。


「世間には、金持ちも貧乏もいれば、貴族も奴隷もいる、その様子は雲泥の差だが、どうしてそうなのか。」
そんな要約になります。
かなり適当ですが、こんな意味です。


そして、その続きはこう続きます。


その次第甚だ明なり。実語教に,人学ばざれば智なし,智なき者は愚人なりとあり。されば賢人と愚人との別は,学ぶと学ばざるとに由て出来るものなり。

要約します。
「その違いは明快だ。儒教(実際は違いますが)には、「知識がなければ愚人と言われる」つまり、賢人と愚人の差は、学んだか学ばなかった以外に差はない。」

と、繋がっていくのです。


この後も、肉体労働を行うものは愚人とされ、頭を使う仕事をする人は尊く思われる、等、現実を重視した言葉を、現実的な差別を言い続けるのです。

そして、他にも、中国の脅威等近隣諸国との情勢的な緊張感等も同時に説き、国を守る論にも発展します。


見ての通り、この「学問のすゝめ」という書物は「人には上下があり、少しでも良く生きる為に勉強をなさい」という事を小さな枠組みから大きな枠組に至るまでわかりやすく伝えているのです。

この「学問のすゝめ」は大ヒットしたのです。
実は、この書物がヒットした理由の一個は、学ぶ自由が明治に発生した事もありますが、もっと大きな理由として「一般人の識字能力で読めた」ことです。

実は、当時の新聞は、言い回し等も含め、一般人には読みにくいものでした。
新聞は貴族の読み物でもあったのです。
瓦版と新聞は別物だったようです。

ある意味、「学問のすゝめ」は、日本の学力を上げる礎にもなりましたし、複雑な体系をしていた日本語をわかりやすく統一していくう上での躍起にもなりました。

※日本は平民が文字を覚えると、貴族が文字や言い回しを複雑化して使いにくくしていた経緯があったようです。


さて、この学問のすゝめですが、結構な特殊な本です。

この本は、言うなれば「同人誌」です。

そして、この本は、自販で30万部、最終的に350万部は見られたそうです。

加えると、当時の日本の人口は、3500万人から、最終編纂時期では4000万人前後。
10人に1人近い日本人が読み、学問というものに憧れを抱いたのです。

その後の日本は歴史で学んだ通りでしょう。
列強に方を並べるまでに育った訳です。


そして、この350万部のベストセラーは、一冊あたり銀3匁ほどです。
匁は金属の重量に為替と言えばいいのでしょうか。
慶応義塾大学のQAでは3匁とだけ書かれていますが、明治は匁のレートが少し上下しましたので、ハッキリとはいえませんが、おおよそ、現代の金額になおして「700円台〜1000円台」ほどになると思います。

高い方で見て、1000円として350万部=35億円相当のお金が「学問のすゝめ」には動いたという事になります。

福沢諭吉先生は、学問の神様でもあり、日本で最も成功した同人作家でもあるのです。


さて、この諭吉先生、日本では珍しく、死後、お墓の移転をした際に、ほぼ完全な屍蝋状態で掘り起こされたそうです。
偶然が重ならないと中々発生しないので、ここでも、人物としての凄さを感じてしまいます。

屍蝋は人によってはショッキングなものなので、お調べするかは皆様にお任せします。


そんな福沢諭吉先生が「学問のすゝめ」を書いてから1世紀半近く経ち、今ではゆとり教育といわれ、更には、人は平等ですよ、と誤った知識を教えられている現代人。

皆様にも、「学問のすゝめ」をおすすめします。

割りと、現代日本と変わらない情勢が見え隠れしていたりします。
何を感じるかは皆様次第ですが、日本人の転機の一つとなった作品です。

是非是非お薦めします。

青空文庫にもありますが、古い文体なので読みにくいという方が大多数だと思います。

現代訳版等も多数でていますので、探してみてはいかがでしょうか?

自分は、iPhoneの中に船中八策(大阪維新の会でなく、坂本龍馬の方です)と一緒に常に携帯しています。

Amazonのリンクにある訳版を立ち読みしてみてください。目次が長いですが・・本文の序盤が見れますが、絶対読みたくなると思います。

本当に、一度は読んで欲しい作品です。





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posted by DaysDei at 23:13 | Comment(0) | 雑学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

生卵を飲む雑学

ロッキーのテーマ流れると不意に頭に浮かびますよね、生卵一気飲み。

卵かけご飯もそうですが、生卵を食べる習慣は世界には稀です。
ロッキーは、栄養をとっているだけに私たちからは見えるのですが、海外の人はきと、クレイジーに必死な姿だと感じるのではないでしょうか。


さて、この生卵ですが、スーパーなどで一般販売しているもので、生食可能なものが売っているのは日本だけと言ってもいいそうです。


しかし、生卵はスーパーでは冷蔵もされず積み上げています。
これは安全なのでしょうか?


実は、卵は冷蔵してからの方が危険なのです。

卵が冷えてから温まると、結露が発生します。冷たいものに水滴がつくアレです。


この水滴は内部にも発生するのですが、この水分が食中毒の王様とも言えるサルモネラ菌などを増やす原因になるそうです。

当然、冷蔵庫で管理し続ければ問題ありません。
一度冷やしたものを常温に戻して放置するのが危険なのです。



そういうわけで、卵を買う時には水滴のついていないものを選びましょう。




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2012年04月24日

滑舌がいいなんてない雑学

どこぞで拾ってきたムダ知識を披露する雑学コーナー。

全くもって意味のわからないブログですね。



滑舌がいい、滑舌が悪い、という言葉をもちろん、聞いたことがあるとは思います。

さて、滑舌がいいなんてない、と表題で言ってしまいました。
どういう事でしょうか。


実は、最近は増えてるので驚いたのですが、自分が学生時代は、5種類辞書があれば、4つには「滑舌」という言葉は載っていませんでした。

実は、「滑舌」という言葉は所謂、業界用語なのです。

いつの間にか浸透し、辞書に乗らない現代用語として一定の地位を得たのです。

そのため、最近はふつうに辞書に載っていますが、もし、古い辞書をお持ちの方で、滑舌が載っていないとなれば、時代を感じれるのではないでしょうか?

そういう訳で、滑舌が良いという言葉は辞書にはない、という雑学でした。

もう一度言いますが、最近の辞書はあるので驚いた、というお話です。



ちなみに、自分は滑舌が昔、とても悪かったのですが、サラリーマンになった後、滑舌を直す為にトレーニングを積んだ事があります。

人前に出て色々発表したり、納得させたりするのは色々大変ですが、確かに「人を納得させる」という意味で、内容以上に話し方や声、滑舌が大事だったりする事は往々にしてあります。

仕事以外でも、ある程度仲良くなるまでは話し方に気を使ったりするでしょう。


人とコミュニケーションを取るのは一生続きますし、一度はトレーニングをしてみてはどうでしょうか?

自分は、2〜3冊、話し方の本や滑舌トレーニングの本を買い、且つ、毎日の出来事を友達に話したり、聞いたことを誰かに話して練習していました。

最後は伝えようと思う気持ちが一番ですので、それを相手に一番伝わる方法を是非、トレーニングしてみてはどうでしょうか?




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